ヒトリゴト日記

子育てや趣味に関する日々のヒトリゴトを世界に届けます

息子、家庭科で整理整頓を学ぶ

先日、学校の宿題でこんなプリントを持ち帰ってきました。

“整理整頓をやってみよう!”

 

なんの教科なのかと思ったら、家庭科とのこと。

どうやら、最近は整理整頓や掃除の仕方なども教科書に載っているそうです!

(国・算以外は基本置き勉なので、あいにく教科書は手元にないのですが…。)

私が子供の頃の小学校の家庭科と言えば、調理実習と裁縫の印象しかなかったのでちょっとびっくりしましたね~( ゚Д゚)記憶にないだけ⁈

 

そして、肝心の宿題の内容というのが、

『自分の部屋などのスペースを整理整頓して、ビフォーアフターの写真を貼ったり、工夫したことなどを表に書き込む』

といったもの。

 

息子は自室の本棚周辺をチョイス。(本棚といっても、ただの漫画置き場です(;´∀`))

正直、整理整頓してほしい場所は山のようにありますし、本棚よりもさっさと片付けてほしい場所があるのですが、息子が自分の力でやるにはこのくらいがちょうどいいと思うので、これはナイスチョイスと言えるかもしれません( ̄▽ ̄)

うっかり張り切って『クローゼット』だとか『電子部品置き場(※息子は電子工作好き)』の整理整頓をするとか言いだしたら、私が気合を入れて手伝っても一週間くらいかかりそうですからね…(^^;

 

さて、それにしても、整理整頓の仕方というものを息子はきちんと理解しているのかということがやはり気になりました。

そこで、息子に聞いてみたところスラスラとこんなことを言いだしました。

 

『まず、いる物といらない物に分けて、いる物の中でもよく使う物とあまり使わない物に分ける。で、いらない物もゴミとして捨てるか、リサイクルとかに出したり人に譲ったりするんだよ。』

 

そこまで理解しているにも関わらず、自分の部屋や学校の引き出しが整理整頓できていないという現実はさておき、理屈ではきちんと理解しているようですね(^^;

 

とにかく、ちゃんとやり方はわかっているとのことなので、ここは息子に任せてみることに。

とはいっても、これまでも本棚の整理程度なら定期的にやって(やらせて)いますし、要するにぐちゃぐちゃになっているものを並べ直すだけなので20分もあれば終わるだろうと思っていましたが、結局一時間以上かかりました!(;´∀`)

 

 

↓BEFORE

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↓AFTER

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 お察しの通り、写真に写っていない部分がめちゃくちゃ汚いのですが、とりあえず本(漫画)は整理整頓されました!

取り出しやすいように、後ろの列には段を入れて高さを出したそうです。

これだけのことによく一時間もかけたなと正直思いますが…(;・∀・)

 

まあ、基本、読んだ本はそのまま積み重ねるタイプなので、この状態がキープされることは難しいわけですが、自分で考えながら整理整頓をやってみる機会になったことはよかったと思います。

そのうち息子なりに心地よく使いやすい整理整頓術を見つけていってほしいですね!

 

↓↓写真にも写っていますが、息子の大好きな藤子不二雄作品の中でもおすすめは『オバケのQ太郎』です!ちなみに、息子のクラスでオバQを知っている子は息子も入れて2人だけだったそうです( ̄▽ ̄)時代を感じる~

漢字を間違うのは憶えていないからとは限らない?!

漢字のテストはあまりいい点がとれない息子。

今回はその辺の謎について書いてみようと思います。

 

以前もブログで書きましたが、低学年の頃に比べると明らかに漢字の憶えが悪くなっているというか、ある程度書かないとなかなか覚えるのが難しくなってきているように感じています。息子自身もそのあたりは自覚してきているようです。

語彙力があまりないことも関係しているのかもしれません。『快い』、『序文』などのように、普段使わない言葉の漢字は特に忘れやすいと思います。

しかし、漢字練習に対する抵抗感は、以前に比べたら明らかに減ったのでグダグダになることは少なくなくなりました。気が散りやすいのは相変わらずですけどね(^^;

 

でも、こうやって書いて覚えることも息子には必要ですが、どうやら間違う原因は憶えていないからだけではなさそうなのです。

 

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 漢字はイメージ?

 

 

まず、息子はどのようにして漢字を覚えているのかということを改めて本人に聞いてみました。(気になるので定期的に何度か聞いています(^^;)

 

息子曰く、『なんとなく形を覚えているだけ』らしいです(;・∀・)

 

そのせいか、確かに、“漢字のシルエット的には似ているけれど、細かい部分が違う”という間違いが息子は多いです。

 

また、これは定番かと思いますが、偏やつくりなど漢字を部首ごとに分解して覚える場合もあるらしいです。私も画数が多い漢字は基本的にこの方法ですね。

ちなみに、息子は基本的に書き順は憶えないそうです…(^^;でも、見ている限りだとだいたい合っています。

また、漢字の成り立ちなどの豆知識的なことから形や書き順に興味を持つこともあるとのこと。

 

そして、今回、息子に聞いてみて一番驚いたのがこちら…↓

 

『わかっている漢字なのに、書こうと思っているのと違う字を書いてしまう』

 

頭と手が連動していないということでしょうか…(;・∀・)

 

例えば、『限』という漢字を書こうと思っているのに(※もともと息子は正しく書ける漢字です)、つくりの部分でなぜか『日』と書いてしまうらしいのです。

私もその現場を目撃しました。

 

一度くらいなら『あ~間違えちゃった』と誰にでもよくあることのように思いますが、息子の場合は『間違ったから正しく書かなきゃ』と注意しながら書いているにも関わらず、続けて5回くらい間違えていたのです。

 

なんとなく形で憶えているがために、無意識に『日』の部分だけがフォーカスされている状態なんでしょうか。

もちろん、息子は『艮』と『日』では一画目の書き順が違うことも理解しています。

 

このように、わかっているにも関わらず、頭の中で考えている漢字と実際に書く字が違ってしまうという状態だと、気が付かないうちに『似ているけど間違っている字』を書いてしまう場合もこれまでもあったのだろうなと思いました。

なおかつ息子のように見直しを怠る場合は、その間違いにも気が付かないままという…(´Д`)

 

 

 耳からの情報の方がいい場合もある?!

 

息子は所謂視覚優位ですが、それゆえに目についた様々な情報に気を取られてしまうことが多いです。

どうやら漢字に関してもそういう部分が少し関係しているようで。

 

先日、息子が自信たっぷりに『この範囲の漢字覚えたよー!』と言うので、私が用意したプリントを渡してみたところ、どうもうろ覚えの部分があるのか戸惑っている様子。

 

『あれだけ自信たっぷり言っていたのに…。そもそもさっきまでその漢字、ノートに書いて練習してたよね(´Д`)』

と思わず疲弊してしまった私。

 

そこで、息子がプリントに書き込む前に回収し、なんとなく思い付きで『ママが言った漢字を書いてみて』と言ってみたところ、なんと50問全問正解したのです!!( ゚Д゚)

 

え?!耳からの情報に弱いんじゃなかったの!?

というか、さっきまで漢字うろ覚えじゃなかったの?!( ゚Д゚)

 

どうやら、目からの情報がなくなったことで逆に集中して私の声を聴くことができたようなのです。漢字も息子が言っていたとおり、きちんと憶えていたわけですね。

 

なので、視覚優位といえど、その先入観に囚われてしまってはいけないなと勉強になりました。

余計な刺激が邪魔をする場合もあるんですね~。

 

そういえば、以前学校の聞き取りテスト(国語)でも満点だったのでびっくりしたのを思い出しました。そのときも今回のように視覚がある程度遮断(制限)されることによって聞く方に集中できたということでしょうか。

 

 

いやはや、“漢字を間違う”という現象も奥が深いですね。まだまだ息子は謎だらけです('ω')

 

 ↓息子が漢字練習で使っているシャーペンはこちらの2B0.7㎜です(*'ω'*)


鉛筆シャープ 0.7mm 0.9mm 1.3mm

 

息子が涙を流した理由

昨日に引き続き、今回もまた夏休み中の出来事を少しだけ。

 

夏休みの宿題で、『社会を明るくする運動』に関する作文を書いた時のことです。

この作文自体は全国で募集しているようなのでご存知の方も多いかと思います。

ちなみに、テーマは以下のように掲載されていました。

社会を明るくする運動”の趣旨を踏まえ,日常の家庭生活,学校生活の中で体験したことを基に,犯罪・非行のない地域社会づくりや犯罪・非行をした人の立ち直りについて考えたこと,感じたことなどを題材としたものとします。         法務省HPより引用

 

う~ん…息子には難しすぎるテーマです(;´∀`)

正直私もどんな方向性で書けばいいのかさっぱり…。

 

ですが、過去の受賞作がいくつも掲載されていたので、それを親子で読むことで、なんとなくですが趣旨を理解することができました。

ニュースを基に持論を書いている子もいたので、それなら息子にも書けるかな?と思い、その路線でいくことに。

ちなみに、息子が取り上げたのは某通り魔事件と放火事件です。

 

 

まずはネットで情報収集をする息子。

凄惨な事件なだけに、息子は衝撃を受けつつも食い入るように真剣に読んでしました。あまり子供に読ませたくないようなものもあるので、その辺は私もチラチラ確認しながら…。

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そして、当然のように『なぜ他の人を巻き込んでまでこんなことをするのか』という疑問が息子にも生まれました。

報道されている被害者の人となりを知れば知るほど、ますますやるせない気持ちになっているようにも見えました。

 

やや興奮気味に調べたことを私に伝えてきたり、息子なりの持論を展開している様子を見て、『いつの間にか息子もこんな風に考えることができるようになっていたんだなぁ。』と正直驚きましたね。

作文の宿題は厄介ですが、このように親子で犯罪について語り合う機会になったのは思わぬ収穫です。

 

 

そして、調べていくうちにこんな言葉が息子の胸に刺さったようです。

           

“死ぬなら一人で死ね”

 

『こういう言い方はよくないことだけど、“死ぬなら一人で死ねばいい”ってSNSとかで言っている人がいるみたいなんだよ…』

戸惑いながら息子が言いました。

 

確かに、Twitterでも当時話題になったのを覚えています。私も含め、こうやって無関係の人を巻き込むような犯人には、感情的にそういう気持ちになる人も少なくないと思います。

でも、息子は『それは言ってはいけないこと』と感じたわけですよね。

 

しかも、驚くことに息子はそれを私に伝えたときに少しだけ泣いていたのです!( ゚Д゚)

 

実は、息子が自分に関すること以外で泣くことは、これが初めてかもしれないというくらい珍しいことです。感動モノのテレビ番組などを見て泣くことも皆無!

 

息子も事件に対して憤りを感じてはいるものの、被害者に同情して泣くというわけでもなく、世間の声の一つに反応して泣くというのがやはり独特な感じがしますね(;´∀`)

でも、息子なりに倫理観みたいなものがきちんと育っているんだなと正直びっくりしました!

 

思い返してみれば、お盆の時期にたまたま息子と戦争の話をしたときにもこんなことがありました。

その時は、話の流れで特攻隊の話題になり、当時は高校生くらいの子供が自分の命を犠牲にして敵に突っ込んでいったんだという話をしたところ、『そんなのおかしいよ!』と言って目をうるうるさせていたのです。

 

今回の涙もそうですが、息子には、

命に対する様々な認識に対して『おかしい』と思える心を忘れないでいてほしいなと思いました。

 

 

余談ですが、あれだけ持論を展開していたにも関わらず、やはりいざ作文を書くとなると手が止まっていた息子(^^;

感じたことや書きたいことはたくさんあってもアウトプットが難しいのは相変わらずです。録音とかしておけばよかった?!(;・∀・)

 

 ↓↓夏休み中に『学校では教えてくれないシリーズ』にハマって大笑いしていた息子('ω')単純に漫画として面白いから気に入っているようですが、とっかかりとしてはいいですよね~。

 

 

家族と第三者

お久しぶりです!(*'ω'*)かなり久しぶりの更新となりましたー!

 

夏休みも終わり、ようやく日常のペースを取り戻してきたので、また平日中心にちょこちょこ書いていきますのでよろしくお願いします(*‘ω‘ *)

 

さて、今回は、ちょっと今更感がありますが、夏休み中に行ってきた児童精神科での話について書いてみようと思います。

 

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被害者意識

息子のある意味一番の課題とも言える『認知の歪み』

物事の受け取り方がやはり少しズレていることで対人トラブルに繋がりやすいという部分が特にネックなわけです。これは、単純に息子と他者との“感性の違い”という問題では片付けられない部分です。

 

息子の場合、以下のような特性があるので被害者意識が生じやすいのです。

  • 物事の受け取り方が違うこと。
  • そもそも物事に対する視点が違うこと。
  • その時の自分の言動を客観的に見れないこと。
  • 周りのリアクション次第で誤学習しやすいこと。

 

その結果、

『僕は何もしていないのに○○された』

『いきなり○○してきたから嫌だった』

 

といった発言に繋がり、さらにトラブルを招いてしまうという…。 

ですから、息子のこういった発言に対しては、正直私は話半分に聞いています…(^^;

 

でも、その時息子が感じた“嫌だった気持ち”は事実なので、『それは嫌だったねぇ』という共感の言葉はかけるようにしています。

そして、先生や周りの客観的な情報をもとに、『でも、もしかしたら○○くんは~』と私なりの見解も合わせて息子に伝えています。

 

とにかく、放っておくと誤学習してあらぬ方向に進んでしまうので、それを避けるためにもいろんな視点からみたその時の状況を息子に伝えるようにしています。

 

私は裁判官ではない

ただ、上記のように私の見解を息子に伝える度に、なんとも言えない気持ちになることがあります。

それは、なんだか息子に私の考えを植え付けているような気持ちになるからです。

 

学校で起きたことは、当然私が自分の目で見ることはできませんし、先生だっていつも見ているわけではありませんから、“周りの話を聞いた先生の見解を私が更に考察して息子に話す”という、いろんな人の主観が入った話の場合もあるからです。

そうなると、もはや何が事実なのか誰にも判断ができないというか…。そういう場面は年齢が上がるごとに増えますよね。

かといって被害者意識たっぷりの息子に何も言わないわけにもいかないわけで(;´∀`)

 

ですから、“なるべく客観的に・いろんな視点で物事を見なきゃ”と気を付けてはいるものの、結局は私の物の見方で息子の行動を判断してしまうことにちょっと怖さを感じる時もあるのです。

 

それを先日の診察時に相談してみたら、あっさりとこう言われました。

『家族なので、あまり深く考えずに、今まで通り息子くんに寄り添っていけばいいんですよ(^^)

必要以上に第三者目線になってしまうと、それはもう家族ではないです。

 

“それはもう家族ではないです”という言葉にちょっと衝撃を受けましたが、おかげで、私が気負い過ぎていたということに気づけたので少し気持ちが楽になりました(^^)

 

息子のことをあれこれ書いていますが、私は私で(できないくせに)完璧主義っぽかったり、ゼロ百思考傾向があるので、『いつも物事を正しく見て息子を導かなきゃいけない』ような気になってしまっていたんだと思います。

それはそれで大切なことですけどね。客観的な視点が必要なのは違いありません。

ただ、程度の問題ということです。

 

私は裁判官でもなんでもなく、息子の家族なので、深く考えすぎずに寄り添っていこうと思います。

 

病院に行くと息子の対応について相談できるのはもちろんですが、親としての心の持ちようもこうやって示してもらえるのでありがたいですね。

 

ただ、息子の主治医の場合は、かなりふわっとしたアドバイスも多いので、数年後にやっと実感することもあるくらい抽象的な言い方の場合も多いです。そのへんはこちらの受け取り方が試されている感じがすることもありますね!

同じ主治医に見てもらっているママさんとも、そんなことをよく話しています( *´艸`)

 

↓↓自宅のみですが、息子もシャーペンを使い始めました!2B0.7㎜使用です。新鮮味があるのか今のところ前より書くことが苦ではない様子。ただ、やっぱりいじりまくります…!!(;´∀`)


鉛筆シャープ 0.7mm 0.9mm 1.3mm

合理的配慮と態度

いよいよ明日から夏休みです!(*^^*)

長期休みはイライラすることもありますが、学校の心配をしなくていいですし、お弁当を作るプレッシャーからも逃れられるという利点があるので意外と私は気がラクだったりします。

 

さて今回は、先日あった個人面談について書いてみようと思います。

 

 

ノートに関する問題

 

面談では、幸い今すぐどうにかしなくてはならないような課題はありませんでしたが、息子の認知の歪みや、決定権の誤解からくる課題がいろいろと明確に表れてきたように感じます(^^;

 

でも、先生方も息子のそういう点を『息子本人が生きやすくなるための課題』として把握してくれているので、長い目で見守ってくれている状態ですね。

息子の特性は学校生活でどうしてもネックになることでもあるので、そういう部分を単に問題視するのではなく、長期的な視点で見てくれることはとてもありがたいと思います。

 

 

授業に関しては、交流級の先生曰く、基本的に息子も他の子と同じように参加はできているそうです。

時には挙手をしたり、みんなの前で解いてみたりすることもあるんだとか(^^)

やはり、低学年の時に比べると“授業に参加する”という点ではかなり変化があったように思います。

 

ただ!

相変わらずなのが『ノートを全部書かない』ということ。

 

ちなみに、去年までは『ノートを全部書かなくても理解できていればいい』という方針で交流の授業に参加していました。

これは、息子が交流に参加する目的の大部分が『板書』以外の面(授業に参加する・グループ活動では役割を考えるなど)だったからです。

 

 

『 では、今年も同じようにノートの件はちょっと目をつぶってもらって…』と考えていたのですが、息子も成長してきた分、今までより求められることも多くなってきたので状況は少し変わってきました。

 

 

アウトプットする力

 

例えば、算数の場合だと、基本的に毎回以下のような項目をノートに書くことになっています。

  • 今日の目的
  • 問題
  • 考え方
  • 他の人の考え方
  • 答え
  • まとめ

 

息子が書かない部分は『考え方』のところ。

わかっているから書くのが面倒らしいです…(-_-;)

 

確かに、単純な問題であればあるほど、いちいち考え方を書くのは面倒というのはわかりますし、そもそもノートというのは自分で内容がわかっていれば書き方の制限をされるものではないというのは大前提だと思います。

 

でも、息子が『考え方』を書かないのは、アウトプットが苦手だからという理由もあると私は考えています。

自分の考えを視覚化したり、人にわかりやすい形で表現するのは本当に苦手な部分ですから。

さらに、息子の場合は『書かなくても相手もわかっている』という思い込みや認知の歪みがあるので、放っておくと“主語がない”とか、“主語述語だけで具体的な詳細が書いていない”という表現になってしまいますからね(^^;

 

“ノートを書かない”という現象も、単に面倒だからということだけでなく、

実は息子のいろんな特性が絡み合った結果なんだと思います。

 

 

問題を解くという単純な学習面の『考え方』に関しては、自分の頭の中だけで理解できていれば特に問題はないのかもしれませんが、自分の考えを可視化すること自体はもっといろんな場面で必要になるスキルだと私は思っています。

特にこれからの時代は明らかにそういうものが求められますよね。

ですから、『ノートを書く』ということが大事なのではなく、頭の中を整理して何らかの形でアウトプットすることが大切なんだと思っています。

そのために、このような『考え方』をまとめてみるという取り組みを私は軽視したくないのです。

 

 

ただし!

ノートを完璧に書くことにばかり集中させたら、そもそも内容を理解する方に集中できなくなる恐れがあるので、それでは本末転倒です!

あくまで、息子が無理のない範囲でという感じですね。

息子の場合は、最初から『苦手だから(面倒だから)書かなくてもいい』と言ってしまうといつまでたっても変わらないのでそれはナシです。

 

 

 

ノートに書かない時に、息子は何をしているのか

 

みんなが『考え方』をノートに書いているときに、息子は一体何をしているのかというと…

筆箱などをいじったり、時には酷い姿勢で椅子に座ったりしているそうです…(´Д`)

 

まあ、筆箱をいじるくらいなら周りの邪魔にもならないので許容範囲のようですが、ふんぞり返って酷い姿勢で座っている様子は正直態度が悪すぎてアウト…。

 

 

でも、こういうのって難しい問題だと思うんですよね。

 

息子は合理的配慮のもと、ノートを完璧に書くことは免除されているけれど、すぐ近くには真剣に書いている子達がいるわけで。

その空間でそういう態度をとっていると、やはりいいようには思われないというか。

 

似たような事例で、LD傾向のあるお友達が、みんなが板書をしているときに自分はカメラで撮るだけだからと暇を持て余して近くの子にちょっかいをかけていたということがありました。

 

合理的配慮によって本人は楽になるけれど、それによって待ち時間が生じたりしたため、問題とされる行動をする時間になってしまうというジレンマ。

 

交流で一斉授業を受けるということは、こういう時の過ごし方も考えておかないと合理的配慮だけしてもらってもすべて解決とはいかないんだと思います。

クラスの子がいくら障害について理解してくれても、本人の態度次第では…というところも正直あると思うので。

かといって、申し訳ない顔をしてしおらしくしなきゃいけないわけでもないですしね。

 

今の学校では、学び方の違いは認めてもらえても、同じ教室で同じ進み方をする以上、楽をしているように見えてしまう態度はよろしくないというのが現状なんだと感じます。

 

それならば支援級で自分のペースで授業を受けるのが効率的とも言えますが、息子の場合は交流級という場で授業を受ける経験からいろんなことを学んでほしいので、それは私も学校側も考えていません。

 

そこで、『考え方』をノートに書かない(書けない)なら、頭の中でもっと深く考えてみるとか、違う問題の解き方を考えてみる時間にしてもらうのはどうかという提案を先生にしてみました。

 

その際も、『ノートに書いてみよう』とまず勧めるのはいいけれど、強制するのはナシということは先生もよーくわかってくれていましたよ(^^)

 

ただ、息子の場合は自分で勝手に何でも決めてしまうところがあるので、“『考え方』をかかないなら〇〇して過ごして”という指示を素直に聞くかどうかはまた別の話になるのが厄介なところ…(´Д`)

 

というか、前述したように、

すべての課題に特性が絡み合っているので、『こうしたら完全に解決!』とはいかないということを最近痛感しています…。

 

 

とりあえず、酷い態度で待ち時間を過ごすことは稀なようなので、少しずつ様子を見ながらまた対策を考えていくつもりです。

 

↓ 文中に出てくる“決定権を誤解する子”はこちらの書籍が参考になります(^^♪


決定権を誤解する子、理由を言えない子―発達障害がある子に誤解をもたせない育て方のポイント (学ぶ・理解する・教える“まりおシリーズ”)

 

国語の心情理解が難しい理由【後編】

昨日の記事の続きです。

 

我ながら長々書いているな…(;^ω^)と思いますが、

こういう心情読解は、日常生活にも深く関係すると個人的に思っているので、息子の思考回路を読み解くヒントになるんじゃないかという淡い期待があったりなんかしてグルグル考えてしまうのですよ…!(;´∀`)

 

ちなみに、前回の記事では、

正解がわからないから想像しない・できないというより、自分と登場人物は違う人間だからそれ以上考えないという息子の思考について書きました。

↓↓前回の記事はこちら

soulgoodman.hatenablog.com

 

 

 

 

注目する点が違う?!

 

前回の記事で例として紹介した物語の最後に、“亮太が帰り道で母親の荷物を持ってあげる”という場面があるのですが、

『そこから亮太のどのような様子がわかりますか』

という設問に対し、息子は

『お母さんが荷物を両手に持っていたから手伝おうとした』

と回答。

 

ちなみに、この場合は“気持ちの切り替えができて元気を取り戻した”のような言葉が書かれていれば正解となります。

 

息子の回答とはそもそも方向性が全く違いますよね(^^;

 

要するに、息子はこういう場合に“行動そのもの”しか見ていないというわけです。

息子の回答は表面的で、心の動きが考慮された視点では考えられていません。

 

 

これは息子にとって難しい設問とはいえ、登場人物の行動に繋がる心情の背景を考えていないことがよくわかります…(^^;

無意識に注目している点がそもそも違うのかもしれませんね。

 

 そこで、息子に教えるために『感情と出来事をグラフに書いてみる』というやり方をしていみたところ、割と好評でした('ω')

 

自閉症だと人の気持ちがわかりにくい』という話をよく聞きますが、

息子の場合は、このような視点の違いがその一つの原因になっているのかもしれません。

 

 

 

 

実生活の中の心情理解

 

 物語の場合は、登場人物のこれまでの行動や立場、会話や文章の表現から、その人物像やそういう性格の人の思考を想像して考えなくてはいけませんが、実生活においても一般的な知識として大まかなパターンを知っておくと役立つかもしれませんね。

 

 

こういうことは、いわゆる多数派の考え方を知ることにも繋がると思います。

※このブログでも何度も書いていますが、多数派に無理に合わせるために知るのではなく、絶対的な違いがあるからこそ『こういう考えをする人が多いんだな』という知識として息子には知ってもらいたいと思っています。

時にはそれがライフハックになることもあるでしょうし。

 

 

結局、実生活でも『自分と相手は違うからこそ想像してみよう』という意識はある程度持っていた方がお互いにコミュニケーションがとりやすいと思うのです。

 

 

 もちろん、本当に相手が考えていることなんてわかりませんし、時には大きな誤解をすることもあるでしょうが。

 

 

こういうことは、いわゆる『察する文化』に通じるものがあるのかもしれませんが、相手にとっての正解を考えろというわけではありません!

上手く伝えられませんが、コミュニケーションのもっと根本的な部分というか。

 

前述したように、息子は相手の行動そのものしかみていない場合があるので、間違っていてもいいから、視点を少し変えて相手の言動の理由にも意識を向けることができれば、少しでも生活しやすくなるのではないか…と思っているだけです。

 

 

 

“表面的な行動”だけみるのではなく、“その時の人の心情”にも注目することは私が思っている以上に息子には難しいのでしょうかね。

 

 

  

自分と違う人を理解できなくてもいいんです。

それこそ『人は人』ですからね。

ただ、違うからこそ、その人の心情について少しだけでも考えてみてほしいんですよね…。

 

文章の読解を通してそんなことを感じたのでした。

 

 

↓ちなみに、息子は説明文の読解で困ることはないタイプです。こちらのシリーズは息子が好きで何冊も購入しています!

 

国語の心情理解が難しい理由【前編】

今回は、国語の勉強から見えてきた息子の『心情理解』について書いていこうと思います。

  

毎年、国語のドリルは教科書準拠の『教科書ぴったりテスト』か『教科書ワーク』のどちらかを購入している我が家。

でも、今年は違うものを探してみようかなと思ったまま、まだ購入していませんでした。(その間も他の文章読解系ドリルはやっていましたが。)

 

そんな中、学校の定期テストに向けて息子と一緒に勉強をすることに。

 

でも、いざ教科書に沿ったテスト勉強をしようと思っても、国語はとても勉強しにくいのです!

要点が絞りづらいというか…。

漢文に至っては、もはやどこまでの理解が求められるのかすら不明(^^;

 

なので、結局慌てて今年も『教科書ぴったりテスト』を購入したのでした。

 

そして、さっそくこれまで習った単元を解いていったわけですが、案の定『心情理解』に対する息子の特性が浮き彫りになりました。

 

 

想像しないのは無関心だから?

 

その単元というのは『いつか、大切なところ』という物語で、簡単に紹介すると以下のようなあらすじになります。↓↓

転校した亮太は、久しぶりに前の学校に遊びに行くことに。

とても楽しみにしていたけれど、いざ会ってみると疎外感を感じてしまった亮太。

仲がよかった駿と一平が、自分のよく知らない子(森田君)と親しくしていたり、会話についていけなかったため、居場所がなくなったような気持ちになったのだ。

 

暗い気持ちで帰路についたが、今の学校のクラスメイトに気さくに声をかけてもらえたことで気持ちの切り替えができ、元気を取り戻していく…。

 

もちろん、実際の文では上記のように直接的な表現をしていないので、文章からその心情を読み取る必要があります。

 

ただ、国語のテストの文章の読解というのは、基本的にある種のテクニックを使って解くものだと割り切って考えていますし、息子にもそう伝えているので、しっかり文章の表現を読めば8割くらいはそこまで悩むことなく理解できることだと思います。

 

しかし、残りの2割、『登場人物の気持ちを想像して考える』という問題はやはり苦戦します。

 

息子の場合は、文章の表現から単純な喜怒哀楽を読み取るだけならできるようになったと感じますが、文章に書かれていない部分を想像するのはやはり苦手。

 

例えば『なぜそのような行動をしたのか』『どういう心境の変化があったのか』といったことですね。

 

問題を解いていくうちになんとなくわかってきたのですが、 

どうやら、 そもそも息子はこういう場面でどんな気持ちになるのが一般的なのかということに関心がないようなのです。 

 

 

登場人物と自分は違う人間

 

主人公の心情を息子にわかりやすく伝えようと思い、

『息子と仲良しの〇〇くんが知らない間に他の子と仲良くなってたとか、自分が知らない話で盛り上がっているときになんだか寂しい気持ちになったことはない?』

と聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

 

『ないかな~('ω')だって、その人が誰と仲良くするかとか関係ないから気にならない。人は人だから。』

 

…息子とは思えないほどある意味達観した答え…!(;・∀・)

それに、こういう意見をはっきり言葉で言ってくれるようになったことに成長を感じました!

 

日ごろから息子には『人には人の考えがある』ということを学んでほしいと思っているので、今回のように、ひとまず『人は人』と考えられるようになったこと自体はとても驚きましたし、嬉しく思いました。

 

ですが!

“人は人だから”の考えのまま止まっていることが息子の心情理解を難しくする原因といえるかもと感じたのです。

 

それ以上想像できないのか、あえてしないのかわかりませんが、こうした割り切った考え方が相手の心情理解への壁になっているような気がしたのです。

 

『自分とこの人は違うからわからない(無関心)』で終わってしまうと、それ以上のコミュニケーションがとりづらくなってしまうというか…。

 

 

余談ですが…

こういう読解の問題に対して、たまに『作者以外に正解はわからないじゃないか』といった意見を目にしますが、

作者以外に正解がわからないということと、息子のように“行動に繋がる心情そのもの”について意識が向かない(考えない)ことはやはり違うと思うんですよね…(^^;

 

長くなったので続きは後編で!